• [0]
  • 草笛物語

  • 投稿者:管理人
 
草笛さんの書かれた物語を集めています。

投稿者
メール
題名
*内容 入力補助画像・ファイル<IMG>タグが利用可能です。(詳細)
URL
sage

  • [21]
  • 前科者ルンペン無一文無一物詐欺師河野元成

  • 投稿者:河野元成ヤクザと組んで借金踏み倒しやめろ
  • 投稿日:2017年11月 1日(水)13時52分2秒
 
借金踏み倒しやめろ裁判所家財道具一式差押え河野元成無一文無一物

  • [19]
  • 北朝鮮国家主席と日本史

  • 投稿者:うさぎ
  • 投稿日:2014年 1月11日(土)08時24分1秒
 
北朝鮮国家主席と日本史

http://park.geocities.jp/j_con4/0204/p044.html#page290

旧暦で金日成の国家主席就任日と日本の建国記念日は一致していた。

( http://park.geocities.jp/jpcdebate/0103/p037.html )

  • [18]
  • 週末モード 天下取り再開物語

  • 投稿者:夢株特攻隊
  • 投稿日:2013年 7月15日(月)00時53分20秒
 
【タイトル】週末モード 天下取り再開物語
【 名前 】草笛
【 日付 】2001/05/19 21:39:03

負けた町長候補を応援して議員になった者は、議会では肩身が狭いものである。
僕もその例に漏れず、議会に戻ったものの最初は居場所がないような思いをした。
しかし、多くの方の支持をいただいて議会に再び出かけた以上は、住民のために
頑張らねばならない。逆に、一度落選した経験が、人生ではプラスになったと思う。
人は成功より失敗から学ぶべきものが多いものだ。落選して学んだ事は
ものごとには潮時というものがあり、潮が満ちていないとき船を浮かばせようと
しても浮かばないということだ。僕は自分の器、経歴を飛び越えて次のステップに
行こうとしたが、周りの皆さんはまだそこまで時期が至っていないと見ていたのだ。
潮は満ちていなかったのに、むりやり船出したから船は暗礁に乗り上げてしまったのだ。

議員2期目の1年間は謙虚さを自分に言い聞かせながら過ごした。議員には色んな
役職があるが、すべて他の議員に譲るようにして、自分がこの役をやりたいとは
一切言わないようにした。潮が満ちてくれば、役はおのずから与えられてくるものだ。
そうするうちに、保守系の議員の会から、会へ復帰の打診があった。こちらから
頼んだわけではない。謙虚にやっているうちに、一緒にやらないかという声がかかった
のである。また地元の支部からも力を貸してくれないかという誘いがあった。
二度にわたって町長選挙を戦った相手方からの誘いである。もともと僕は主流派に属して
いたので、誘いを断るはずがない。僕や僕の支持者が最後まで戦い続ける姿を見ていて
敵ながら天晴れ、この人たちを味方につけたほうが得策と考えての誘いだと思う。
人は正々堂々と一途に戦えば、敵方からも評価されるものである。

僕は選挙で絶対に相手候補の悪口は言わなかった。選挙の後でしこりが残るのは悪口を
言い合う選挙をした場合である。政策論議が選挙の本質であり、相手候補本人への攻撃は
邪道だと思う。「相手候補をどう思う?」と聞かれたら、「僕より経験豊富で立派な
方です」と答えていた。これじゃあ、勝てないのも仕方ないかもしれない(苦笑)
実際ネガティブキャンペーンも結構やられたのであるが、僕は絶対やらなかった。
二年前の町長選挙の参謀をやったときも、相手候補への悪口は一切禁じていた。
そのことも支部への復帰が可能だった理由のひとつだろう。

H町長が町長になるとき、対立候補の参謀として敵対した僕だが、H町長とは円満にやっ
ている。彼とはお互いがT派の単なる運動員同士だったときからの知り合いで、彼が先に
町議会議員になったので、僕もやってみようかという気になったという経緯もある。
役場職員の給与や役職に、能力主義を取り入れよというのが僕の主張であるがH町長も
それを理解し、精力的に取り組んでいただいている。H町長はじっと潮が満ちるのを
待って、町長に出馬して当選した。彼のそういうところはたいしたものだと勉強になる。

あれから二年たって、議会で役職の改選があり、僕は特別委員会の委員長に押されて
なることが出来た。また広域行政のための議会議員など各種の役職もいただいた。
本来、負け組の議員にはあまり役職は回ってこないものなのに、有り難いことである。
「自分から求めなくても潮が満ちれば物事は成る、役職は回ってくる」とA参議院議員に
言われたことがある。僕が町長選に出たときもA参議院議員から、「時を待て!」と
諌められたのだが、若さ故にそれを蹴ってしまった。人生を生き抜いてきた先輩の言葉の
意味が今にして分かるようになった。僕はおかげさまで、今すべてが元どおりに戻った。
さあ!また天下取りの再開だ。ただし自分が何かの役職になろうというのではなく、人の
痛みがわかる人間、人のために泣ける人間になって、人のこころの支持をいただき、人に
尽くす世界での天下取りだ。誰よりも人様のお役に立てる人間になる事、それがこれから
の僕の天下取りであって、それこそがこの世でもっとも価値のある真実の天下取りなのだ。

前回の天下取り夢物語が重たい内容で、読んでいて辛かったという感想を沢山いただいた
その後、一途に最後まで信じて戦った者が報われたことをお伝えしておかないと読者の胸
が晴れないのでこの物語を書いた。信じる者はやはり救われる。信じる者は必ず救われる。


  • [17]
  • 天下取り夢物語 第10章 後日談編

  • 投稿者:夢株特攻隊
  • 投稿日:2013年 7月15日(月)00時52分16秒
 
【タイトル】天下取り夢物語 第10章 後日談編
【 名前 】草笛
【 日付 】2001/05/06 21:41:56

物語の登場人物のその後…

K助役は町長になったものの1期4年目の平成10年(1998年)秋、高齢を理由に
引退声明を発表しK町政はあっさりと短期間で終わった。
このため僕は反乱首謀者としての自宅謹慎的な暮らしから、わずか4年で脱出することが
できた。後継者争いが起きてK助役が町長になる時の参謀格のうちの3人が名乗りをあげ、
またしても三つ巴の町長選となった。僕はそのうちのひとりの革新系無所属候補者から
援軍を請われ、その選対に参謀格で入ったのである。
関が原で敗れた西軍の残党が大阪城入りしたみたいなものだった。僕の元の選対は名誉
回復を期してその候補者のために奮戦したのだが、またしても落城の憂き目を見た。
このときは落選の翌日、選対幹部やその関係者が一斉に選挙違反容疑で警察に連行されて
大変だった。僕はこれをきっかけにこの時の統一地方選挙で町議として復帰することとなった。
僕が応援した町長候補者が当選のあかつきには、町政のスタッフ格になって天下取り
夢物語を続けようとひそかに思っていたのだが、またしても挫折。臥薪嘗胆、雑草魂を
もって任じていた僕もさすがに打ちのめされ再起不能を悟った。そして落選町長候補派の
議員として辛い2期目の議員生活を始めることとなったのである。

一期先輩の若手H議員はK助役の参謀格でK町長誕生に貢献し、町議3期目で副議長、議
長と出世し、K町長の引退声明のあと町長選に出馬した。地元自民党の推薦を取り付け、
僅差であったが保守系候補と革新系候補に競り勝ち見事当選を果たした。
同い年の若手H議員こそが、この町の現在の町長である。

Y元町長はK助役の後見人としてK町長誕生に尽力し、その後も町の大御所として
権勢を誇っていたが、K町長の後継争いの選挙ではH議員の対抗馬の保守系候補の応援を
して失脚、以後急速に体調を崩し、最近死去された。盛大な町民葬がH町長を葬儀委員長
として行われたのはいうまでもない。H町長は若いが万事ぬかりがないのである。
Y元町長が生きているうちに、あの晩、僕の町長出馬を祝ってくれたのは一体なんだった
のか聞いておきたくて、二年前に家を訪ねたことがある。僕を失脚させるために
「誉め殺し」の策を用いたのではないかという疑念が僕の脳裡から消え去らなかったのだ。

「あのとき、私はK助役が出馬するなんて全く考えていなかったんだよ。
 しかしね、K助役は私に20年も仕えてくれたんだよ。恩があるんだ。君と助役の
 どっちを選ぶかと言われれば、助役につくのが当たり前だろ……」
Y元町長の生前にこの言葉を聞いておいて良かった。聞かないままY元町長が亡くなった
ら、僕は一生嵌められたという、面白くない気持ちで人生を送ってしまうところだった。

M元県議は2年前に今度は県議選挙に向かおうとしたが、現職の壁は厚く断念した。M氏
は僕が知っているだけでも2回当選、3回落選というつわものだったが、もうこれ以上
傷ついてもらいたくないという支持者の諫言で政治の道から文人の道に専念することにな
った。同時落選のよしみからか、M氏が文化交流の事務所を開いたときには招待された。

僕の孤立無援、惨敗必至の町長選で苦しい中を最後まで僕を支援してくれたN議員は2期
目の議員生活では苦労していた。自民党推薦候補のK助役を支援せず反乱軍に組みしたこ
とを咎められ、保守系議員の会から除名され4年間、孤立した議員生活を送ることとなっ
たったのである。
それでも懲りもせず、2年前に再度僕と組んで革新系の町長候補の選対入りし町長選を
戦い、またしても敗北。今度はその町長候補とともにN議員自身も落選の憂き目を見た。
信じる者が報われないことも人生にはあるんだと、彼を思う時、胸が痛み目頭が熱くなる。

                   連休特別番組 天下取り夢物語   完


  • [16]
  • 天下取り夢物語 第9章

  • 投稿者:夢株特攻隊
  • 投稿日:2013年 7月15日(月)00時51分27秒
 
【タイトル】天下取り夢物語 第9章
【 名前 】草笛
【 日付 】2001/05/05 22:40:18

開票の時は、自宅で待機していた。町の有線放送で開票速報を伝えてくれるのだ。
最初の第1報だけは、思いやりで同じような票が読み上げられた。しかし、そこまで
だった。K助役が圧倒的な強さでダントツ、2位がM前県議で、僕は3位。票も僕の町議
時代の票とN議員の票を足した数字にいくらか上積みした程度の票しか出なかった。やは
り、地縁血縁の網の目が張り巡らされた田舎の町での選挙に浮動票はない。あったとして
も浮動票は固定票に比例するものなのだ。下馬評通り、K助役が次の町長に当選した。

後援会長が自宅へやってきて、事務所でみんな待っているから来てくれとのことだった。
「嫌な役目で、ここへ来るのが辛かったけど、意外に明るい顔なので安心しました」
後援会長はぎこちない笑顔を作って、うれしそうに言った。
こんなとき、辛くても、お世話になった人の前で悲しそうな顔が出来る訳が無い。

事務所には、運動員のみんなが揃っていた。惨敗にもかかわらず、家に帰らずに僕を待っ
ていてくれる支持者の心情が有り難かった。100人の敵がいてもたった一人の味方がいれ
ば戦い続けられるし、たった一人のために勝算がなくても戦わねばならないこともある。
何の得もなくても、犠牲的精神でついて来てくれたこの人たちの心の純粋さに僕は感動
していた。僕の天下取りは夢のまた夢に終わったが、天下取りより尊いものに出会えた。
この美しい心との出会いが、僕にとっての本当の天下取りであったのかもしれない。

「みなさんには頑張っていただきましたが、このような結果になりました。ひとえに僕の
 不徳の致すところであり、皆様に深くお詫び申し上げます」
僕は深深と頭を下げた。落選だから粛として場は静まりかえっていた。
もう選挙は終わったのだからと、みんなに酒を振舞った。ひとりひとりにお礼を言って
酒を注いで回った。運動員の人たちは、やるだけやったんだとサバサバした様子だった。
負けも徹底的に負けるとそれなりのあきらめがつくもののようだ。
「僕を応援したことで、これから負け組と言われ、世間で肩身の狭い思いをすることでし
 ょう。ご迷惑をお掛けしてほんとに申し訳ない」
そう言って、みんなに謝ると
「いいんですよ、町の人たちは、むしろ最後まで孤軍奮闘していた私達運動員を誉めてく
 れていますよ。正しいことを訴えて来たんだから、負けたからといって何も恥ずかしく
 はないですよ」
という答えが返ってきた。僕より、運動員の人たちがよっぽど強いんだなぁと感心し、
ほっとした。僕はもう世間様に顔向けできない気持ちで、このまま死んでしまえたら
どんなに楽だろうとさえ思っていたのだ。戦国時代にいくさに敗れた武将が死を選び
それを男らしいとほめそやすが、あれは生きているより死んだほうが楽だという気持ちに
なるからだと分かった。石田三成は関が原で破れても、生き延びて三条河原で処刑された。
処刑の前に喉が乾いたから水が欲しいというと、役人が水の代りに柿をくれた。三成は
柿は丹毒に良くないといって食わなかった。役人はまさにいま首を切り落とされようと
している三成が、この期に及んでまだ自分の体をいたわっているのを笑った。
三成という人は自決せずに、処刑されて臆病者と世間から笑われたが、負けた者が最後の
最後まで生き抜こうとするのはすごく勇気のいることだと僕ははじめて理解した。

事務所をあとにし、自分の部屋に戻ると、胸がかきむしられるような悲しみがこみあげて
きた。何ひとつうまく行かなかった。信じてついてきてくれた人たちの期待も裏切った。
出馬表明から5ヶ月、裏目裏目の連続だった。これが自分の宿命なのか、自分はこんなに
も非力な男だったのか。負けると知って戦ったとはいえ現実に大敗してみるとショックは
大きかった。ひとりきりの部屋で誰も見ていないから思いきり泣こうとした。悲しくて悲
しくてやりきれなかったのだ。しかし泣こうとするのに涙がちっとも出てこない。あまり
にも悲しくて、あまりにも悔しいときには、涙さえも出てこないものだと初めて知った。


  • [15]
  • 天下取り夢物語 第8章

  • 投稿者:夢株特攻隊
  • 投稿日:2013年 7月15日(月)00時50分37秒
 
【タイトル】天下取り夢物語 第8章
【 名前 】草笛
【 日付 】2001/05/05 22:35:12

選挙期間、宣伝カーを走らせ選挙運動は幕を閉じた。投票日の前の日に幹部を集め
明日の開票で負けることは確実だが、皆さん良くやっていただいたとお礼を言った。
彼らは勝ち負けを超越して戦ってきた人たちだったから、それ以上何も言わなくても
分かってくれていた。落選した候補の選挙事務所はしばしば選挙違反で挙げられる。
負けることが分かっていたから、数ヶ月の間一切酒は出さなかったし、町内の料理屋での
会合などもしなかった。それでも、個別訪問などの軽微な罪で引っ張られる可能性が
あるから、その覚悟だけはしておいてくれと言っておいた。

投票前夜、すべての選挙活動をやり終えて事務所から家に帰ると、新聞社から電話が
あった。コメントをくれというのだ。
「まだコメントするには早いんじゃないの?予定原稿なの?」と聞くと「そうです」と言
う。新聞社は事前に電話アンケートなどで結果を正確に予測している。
前もって新聞社に投票前夜に敗北談話のコメントを求められたときにはさすがにがっかり
した。負けるだろうとは思っていたが、奇跡を信じたい気持もかすかに残っていたのだ。
「僕の政策が理解していただけなかった。すべて僕の不徳の致すところです。
 清春候補はそう言っていたと書いておいてください……」
明るい声で受け答えしていたが、受話器を置くと、寂しさがこみ上げてきた。

妻は選挙というものをあまり知らないから、開票して見ないと結果は分からないとまだ
強気を言っていた。頼んだ人の応対がみんな良かったし、宣伝カーに乗ったとき町民は
頑張ってとみんな手を振ってくれたと僕を励ますのだったが、そんな妻を見ていて、
僕はむしろ妻が開票後に落選のショックで倒れ込むのではないかと心配になっていた。
小学生の娘が仏壇の前で念仏を唱えていた。何をお願いしているんだ、と聞くと
お父さんが当選するように祈っているところだと言う。なにか子供にも大きな
心の傷を負わすことになりそうで、馬鹿な父を持つと子供は苦労するなと胸が痛んだ。


  • [14]
  • 天下取り夢物語 第7章

  • 投稿者:夢株特攻隊
  • 投稿日:2013年 7月15日(月)00時49分5秒
 
【タイトル】天下取り夢物語 第7章
【 名前 】草笛
【 日付 】2001/05/04 21:43:21

平成7年(1995年)1月17日、朝方ドーンという大きな音がして目が醒めた。
阪神淡路大震災が神戸市周辺を襲ったのである。僕は関東大震災を恐れて関西の企業の
株を保有していた。西宮市の甲子園土地企業10万株、三田市の田淵電機10万株など
であった。この地震で甲子園土地は市内で営業していたボウリング場が破壊され使用不能
となったし、競輪場の建物にも大きな亀裂が走った。この地震までは配当をずっとやって
いるしっかりした会社だったが、この地震のために会社は傾いてしまい、二度と浮かび上がる
事のできない無配のボロ会社に転落していった。僕は400円台で10万株投資したのに
結局株価は17円まで下がり続けた。しびれを切らして途中で投げてしまったけれど。

田淵電機も三田市に本社工場があり、三田といえば神戸牛の産地で神戸市の北隣の市であり、
震災の連想で大きく値を下げた。震災前は500円以上していた株が300円台まで
売り込まれてしまった。売ろうにも買い物がなかった。
このふたつの銘柄だけでも、あっと言う間に3000万円の評価損が出た。運が傾いてい
るときには悪いことばかり重なるものだ。僕の気分は一層落ち込んだ。

選挙運動もいまひとつ盛り上がらなかった。
選挙というと選挙カーを走らせて連呼して走り回る姿を思い浮かべる人が多いだろうが
あれは儀式のようなもので、選挙公示日にはもう勝負は決まっている場合が多い。
公示日の何ヶ月前から後援会活動の名目で選挙運動は繰り広げられていて、その間に
だいたいの当落は分かってくる。僕の場合は三つ巴になった段階で結果は分かっていた。

4月の投票日まで、3ヶ月間かけて町内各地の公民館で演説会をやり「ハードからソフト
への町政の変革」を訴えた。箱物や道路中心の町政から、情報インフラ、知的環境の整備
福祉環境の整備などへの方向転換を訴えた。やる以上は政策はちゃんと訴えようとしたが、
こんな政策は町民にあまり受けなかった。変革、変革と訴えていることが、受けないどこ
ろか反発をかうような大事件が同じ頃起きた。

オウム真理教が山梨県に作ったサティアンを警官隊が取り囲み、
麻原彰光が逮捕された事件だ。このとき麻原が「救済だ、世直しだ」と言っていたので、
僕らが変革だの、町の世直しだの言うと「オウム教みたいな連中だ」と町民
から冷たい視線で見られるようになってきた。人心が保守的、現状維持的な気持ちになっ
ていた。そうでなくても保守的な土地柄なので、いよいよ孤立し、運動はカラ回りした。


  • [13]
  • 天下取り夢物語 第6章

  • 投稿者:夢株特攻隊
  • 投稿日:2013年 7月15日(月)00時48分23秒
  • 編集済
 
【タイトル】天下取り夢物語 第6章
【 名前 】草笛
【 日付 】2001/05/03 23:17:34

年が明けて平成7年(1995年)1月、またしても予想外のことが起きた。
現職県議とリベンジの一騎打ちをすると思われていた前県議M氏が、町長選出馬を声明し
たのである。現職県議と戦うより町長選に打って出て三つ巴で戦った方が勝ち目があると
判断したのである。M氏の支持者は県議選でのリベンジを期していたので口々に意外だ
意外だを連発していたが、M氏が町長選に出ると言った以上、M氏を応援せざるをえなく
なり、申し訳ないと言いつつ僕のもとから歯が抜けるように去って行った。

これには参った。体制側をバックにしたK助役と反体制的な勢力をバックにしたM前県議
の両方を相手に戦うことになってしまった。まさしくビルの谷間のラーメン屋の屋台だった。
当初の出馬を決意したときの読みとははるかにかけ離れた世界に僕は迷い込んでいた。

K助役の出馬が決まった時、僕を応援してくれるはずの人たち、なかには僕に出馬を勧め
ていた人達までもが勝ち目がないと判断すると手の平を返すように助役陣営に走った。
さらに残っていた人たちの中から、頼りにしていたM派の人たちも抜けていった。
まさしく、そして誰もいなくなった、であった。残った者は僕の町議選挙の時の若手の運
動員の中核のものと、出馬を相談したとき最初に賛成してくれた同期のN議員、それと
あまり多くない親戚の者だけだった。
孤立無援、四面楚歌。僕も選挙に関わってきたから、もうどうしようもない状況になって
いることは重重承知していた。田舎には浮動票なんてものはほとんどない。
選挙まで持ち込めば100%落選だから、行くも地獄。かといって、ここで出馬辞退すれ
ばカッコつけて出馬声明までして、それでも男か、臆病者めと世間から嘲笑されて相手に
されなくなるのは必至。つまり退くも地獄だった。

前県議M氏の町長出馬を受けて、僕の選挙参謀を集め、今後の身の振り方を相談してみた。

「ここで降りてはいかんぞ。勝ち負けは別として最後まで戦うべきだ。ここで降りたら
 世間はどちらの派からか金を貰って降りたと勘ぐって、この町にいられなくなるぞ」

幹部はみんなそう言った。もう降りるわけにはいかない。同じ地獄を見るのなら、玉砕戦
をして花と散ってこの世の生き地獄を見てやろうではないか。すべての読みが外れたが
もう僕にはどこにも逃げ込む場所がなくなっていた。男の辛い宿命と諦めるしかない。
僕は惨敗必至、勝算の全く無い選挙戦に敢えて突撃してゆく悲愴な覚悟を決めたのであった。


  • [12]
  • 天下取り夢物語 5

  • 投稿者:夢株特攻隊
  • 投稿日:2013年 7月15日(月)00時47分38秒
  • 編集済
 
【タイトル】 天下取り夢物語 後編 第5章
【 名前 】草笛
【 日付 】2001/05/03 23:12:59

前編までのあらすじ・・・天下取りの夢を抱いて町議から町長にチャレンジした僕だったが
予想していなかったK助役の出馬という展開となり一転して苦境に立たされた。

K助役との会話を反芻して見た。助役は「出るとは言っていない」と強調していたが
「出ない」とは言わなかったことに気がついた。「誘いを断っている」ということは
「誘いが断れきれなかった」と言い繕うことも出来る。
怨みつらみは言いたくなかったが、こちらは礼儀を尽くして伺いを立てているのだから
出馬を決意したなら、その旨を電話一本でも良いから伝えて欲しかった。
K助役はまたたくまに町の自民党の推薦をとりつけ、あっと言う間にこちらは反体制の
反乱軍になってしまった。「出たいものは、みんな出馬したらいい。特の若い人が望ましい」
と公言して、僕が伺いを立てたとき酒まで振るまって激励してくれたY町長は助役支持を
早々と明かにし、二人三脚で企業や団体の挨拶回りを始めた。Y町長が助役の応援をして
歩いているということも最初は信じられなかった。最初の口ぶりからせめて中立を守るの
だろうと僕は思い込んでいたからだ。政治の世界は相場以上に一寸先は暗黒の暗闇だ。

あらゆる団体、労働組合までもがK助役の支持をあきらかにした。想定外の方向に行ってしまい
僕は苦悩した。しかし上げた手を状況が不利になったからと言って降ろすのは僕の美学が
許さなかった。この段階でも気骨ある人たちは応援するよと励ましてくれていたからだ。
選挙を前にして尻尾を巻いて逃げれば、僕を支持している人を裏切ることになる。
K助役は72才、僕は43才。町民は変革を訴える僕を勝たせてくれる可能性がないとは
いえない。

統一地方選では町長選、県議選、町議選が同時に行われる。これまで町長選はY町長の下
20年間無投票だったが、県議選は毎回熾烈な戦いが繰り返されていた。前県議のM氏が
現職県議にリベンジの戦いを挑むだろうというのが大方の予想であった。M氏は反骨精神
の持ち主で「土建屋政治打破!」などと言って、地元建設業界から煙たがられていたが
カリスマの持ち主でM派という言葉があるくらい沢山の信者のような支持者をもっていた。
現職県議がK助役支持であったから、M派の人たちは現職県議との対抗上、僕に好意的だ
った。現職県議とK助役 VS 前県議M氏と僕という構図でまずまずの戦いが出来るか
なと僕は気を取り直した。このときはかすかであるが、勝つ可能性もあると思っていた。


  • [11]
  • 天下取り夢物語 4

  • 投稿者:夢株特攻隊
  • 投稿日:2013年 7月15日(月)00時47分5秒
 
【タイトル】天下取り夢物語 4
【 名前 】草笛
【 日付 】2001/04/30 22:31:56

一方、長老議員達は腹の虫が治まらなかった。議会は序列を重んじる世界で当選回数で
役職が決まり、議会での席順のみならず、宴会で座る場所も当選回数順であり、兎に角
当選回数にこだわる世界だ。一期目の議員が町長になるなんて考えられないことであった。
なまじ町議になってしまうと、こういう序列の世界に巻き込まれて動きがとれなくなる。
それは国会議員、県会議員にも言えることであろう。
長老議員達は自らがリスクを冒して僕と戦うことを選ばず、K助役のかつぎだしを図った。
K助役はその任にあらずと断ったのであるが、再三出馬を求めに行っていたのである。

K助役の出馬説に僕は驚いた。僕の計算にK助役は入っていなかった。あらゆる人の出馬
を想定して勝てると踏み、それゆえ先に旗さえ上げれば、もう向かってくる者はいないと
踏んでいたのだ。
K助役はY町長より年上で72才。町長が若い人にやってもらいたい、と言っている以上、
助役がその気になることはあるまいと思い込んでいた。長年町長の下で地元に貢献してき
た人で、人柄は温厚な良い人だった。役場職員から叩き上げのK助役が出馬すれば手ごわ
い。だがトップに立って企画立案するというより、トップが決めたことを根回しするタイ
プの人だったから、その気になるなんて信じられなかった。もちろん年齢も年齢だった。
助役出馬説に慌てて、僕を支持しているN議員とふたりでK助役の家を訪ねた。

「助役さんが、町長選挙に出られるのではないかと、聞きました。助役さんにそういう
 お気持ちがあるとは知らず、失礼を致しました。助役さんが長年、地元のために
 ご尽力されてこられたことは重々承知いたしております。助役さんが、お出になるの
 なら陣を引いて、ご協力いたしますが、本当のところをお聞かせくださいませんか?」
僕とN議員は丁重に伺いを立てた。協力したいというところがミソである。

「私は、出るなんて言っていませんよ。そういう噂を流されて困っています。確かに
 出ろ出ろと言いに来る方もありますが、家族の者も反対しており、お断りしているん
 ですよ」
なんだ、助役は出ないのか。僕はほっと胸をなでおろした。K助役との戦いは想定して
いなかったので、結構あせっていたのである。しかし本人が出ないときっぱり否定した
のだから、これでひと安心。ポスター、パンフレット類も作り、準備万端が整った。

ところがだいぶ日数が経ってから、例の若手のH議員から夜中に電話がかかってきた。
「重大な事態になったよ。K助役が出馬を決意したんだ。助役との戦いになれば
 君に勝ち目はないと思う。悪いけれど、僕は助役陣営につくことにする。君に電話する
 のも、これが最後だ。以後は敵味方になるんだから…・・」
「ちょっと待ってくれ。何かの間違いじゃないか?助役はその気はないと僕にはっきり
 言ったんだ!じかに会って、本人に確認してあるんだ!!」
K助役の出馬という思いがけない展開に僕は叫び声にも似た声を張り上げたが、返答は
なかった。H議員は早々の受話器を置いて電話を切っていたのだった。


  • [10]
  • 天下取り夢物語 3

  • 投稿者:夢株特攻隊
  • 投稿日:2013年 7月15日(月)00時45分6秒
 
【タイトル】天下取り夢物語 3
【 名前 】草笛
【 日付 】2001/04/30 22:28:20

かねてより仲の良かった同期のN議員に出馬の意思を伝えると協力を惜しまないと言う。
そこで、まず議長室にF議長を訪ね、町長選挙に出たいと思うが、検討委員会で諮って
もらえないでしょうか?と頼んだ。しかしF議長の答えは冷たかった。
「なんで一期目の君が町長に出なきゃならんの?何を考えているんだ。自重したまえ!」
それでも僕はひるむことなく食い下がった。
「検討委員会に諮っていただき、議員の皆さんが駄目だと仰るなら、身を引きますが
 まな板にも乗せず、議長さんの一存ではねつけられるのには納得いきません」
「駄目なものは駄目だ。一年生議員という立場をわきまえろよ。自重したまえ」
F議長は自重、自重というばかりで、まったく取り合ってくれなかった。

ここが思案のしどころだった。このまま引き下がって、町議としてもう一期勤めるか
思いきって打ってでるか。ここから先は博打だ。少なくとも議員で出る者は誰もいないだ
ろう。僕が旗を揚げれば、おのずから流れが出来るだろう。ままよ勝負に出よう!

天佑を信じ、同期のN議員と共に、町内の有力者に町長選出馬の挨拶回りをした上で、
新聞社の記者クラブに出向き出馬声明をした。
翌日の各紙の地方欄には写真入りの記事で僕の町長出馬が大きく取り上げられた。
その夜から、励ましの電話があちこちからかかってきた。
「あなたならやると思っていた。頑張れよ、応援するよ」
それから10日間くらいは、対抗馬の話も出ず、逃げ切りの勝ちのように思えた。
役場へいくと、職員がこれまでより親しげに「頑張ってください」と言う。
役場の幹部との宴会の席では、幹部が僕の席の回りに群がって酒をつぎに来る。
もう引退を表明しているY町長やその右腕と言われたK助役の席の前は閑散としていた。
現金なものだが、それが人生なのだ。僕は役場の幹部が次々と差し出す酒を飲み干し、
一人一人に機嫌よく返杯した。幹部たちは僕の回りから一向に立ち去ろうとはしない。
参謀格の同期のN議員が僕に耳打ちした
「役場の幹部も勝負はついたと見ているね。君はもう勝ったんだ……・」
僕はうんうんとうなずいた。思い返せば、これが僕の人生最良の瞬間だった。

そのとき、ちらりとK助役のほうを見た。町長と運命をともにして引退することになるで
あろう助役の姿が妙に寂しげだった。酒の飲めないK助役であったから、誰も近寄る者が
なくひとりぽつねんと座り、まるで火が消えたような有様だったことが印象に残っている。

議員の多くは流れにつくのを習性としている。僕が町長になるなら経済に強いし、いいん
じゃないかという議員も出てきたし、皆が良いと言うなら応援しますという議員もいた。
一期先輩の若手のH議員も毎日電話をくれて、「もう大丈夫、頑張れ。情報は逐一入れる」
と水面下で支援を約束していた。地元県議も「勝負はついた。彼のぶっちぎりだ」と論評
していると風の便りで聞いた。ことはすでになれり、と僕は得意満面、有頂天だった。


  • [9]
  • 天下取り夢物語 2

  • 投稿者:夢株特攻隊
  • 投稿日:2013年 7月15日(月)00時44分11秒
  • 編集済
 
【タイトル】連休モード 天下取り夢物語 2
【 名前 】草笛
【 日付 】2001/04/29 22:39:18

町議1期4年をほぼ勤めあげた平成6年(1994年)の秋、次期も出馬すると声明して
議会の推薦も取り付けていた現職のY町長が、病気を理由に突如引退声明を出した。
このY町長は医者でやり手の町長で、独裁者的な力を持っていた。経済に明るく
積極的に企業誘致を行い、そのため僕の住んでいる町は工業出荷額が2000億円を
越え、県都松江市、工都安来市、商都出雲市を抜いて、県下1位になったのである。

その先見力の秘密は株式投資だった。株が大好きな町長で、僕がまだ議員ではないころ、
僕の株の予想が良く当たると聞き付けて、黒塗りの公用車で僕の家の前に止め
「なにか面白い株があったら、教えてくれんか?」と上がり込んで来るような町長だった。
町長室には株式市況の短波放送が流れていたし、公用車の中にも短波放送がつけっぱなし
で常に株式市況が流れていた。集会の挨拶などで、最後に「町民の皆様、株式投資を
しましょう。生きた経済の勉強になります」と株式投資の宣伝をすることもあった。
だから時勢に敏感で、誘致する企業も時代の先取りをする企業に狙いを絞っていた。
富士通、村田製作所、島津製作所などのそうそうたる上場企業が僕の町に進出しているの
も町長が株をやっていて伸びる企業を知っていたからだと思う。光ファイバーの住友電工
も誘致しようとしたが、契約寸前まで行きながら惜しくも破談になったと聞いている。

そういう進んだ町長だったから、やめる時も電光石火で、惜しまれてやめる形となった。
議会の長老が「後継者は誰にすれば良いのでしょうか?」と恐る恐るY町長に聞くと、
「私は後継指名はしない。出たいものがみんな出て、政策を戦わせて町民が選べばいい」
と言うのであった。
早速、議会の保守系議員全員で後継者検討の会が開かれた。自分がなりたいと思う人も
何人もいたはずだが、軽々しく口を開けば、叩かれるから誰も口を開くものはいない。
そこにY町長が現れ、自分の後継者にふさわしいものの条件を高飛車に言った。
「70才の自分がやめるのだから、新しい町長は若い人がいい。情報化社会の到来には
 若い町長でないと対応できないからだ。学識があり、その上に経済に詳しい人がいい。
 系列は竹下派がいい。それと選挙には金がかかるから、選挙資金を用意できる人じゃ
 ないとダメだ」
長老議員はこの条件が満たせず、うつむいた。もともと、いつか町長になろうという戦略
でいた僕だから、自分が後継者指名を受けたような気がした。町長の言う条件を僕は全部
満たしているように感じられたからだ。若い僕には思い上がりがあったのである。

それでも軽々しく動くと叩かれる。そこで同い年ながら2期目の若手議員のH君に
「君が出たらどうだい?」と水をむけてみた。
「僕はそんな器でもないし、そんな勇気はとてもないよ、君こそ出たらどうだい?」
その言葉を僕は待っていた。この男が出なければ、他に出る者はいないと読んでいた。

それでも、僕は手を上げなかった。先に手を上げると潰されるのが、この世界の掟だ。
そうして1ヶ月が過ぎても、「自分が町長に打って出る!」というものがいなかった。
年配議員で出たい人は沢山いたはずだが、その気を見せれば袋叩きにあうのが分かって
いるから自分が出るとは言い出せないまま、睨みあいが続いたのである。
ここらへんが潮時だ。いま打って出れば雪崩を打って流れが僕に来る。勝負どきだ!

ある夜、Y町長の家をひっそりと訪ねた。Y町長はニコニコして、まあ上がれと言う。
「町長、あなたの口ぶりだと、僕に出ろと言っておられるような気がしてなりません
 僕でいいのなら、町長選出馬を決意しようと思うのですが…・・」
「おう、やっと、その気になってくれたか。君ならやると思っていたんだ。頑張れよ。
 おい、酒と肴だ!清春君の洋々たる前途の祝い酒だ!」
町長は上機嫌で奥さんに酒の支度を促した。僕は喜びで胸がいっぱいになった。


  • [8]
  • 天下取り夢物語 1

  • 投稿者:夢株特攻隊
  • 投稿日:2013年 7月15日(月)00時43分8秒
 
【タイトル】連休特番 天下取り夢物語 1
【 名前 】草笛
【 日付 】2001/04/28 22:41:28

天下を取ろうなんて、そんな馬鹿なことを思う男はそうざらにいない。
平時においては、生まれも良く、金持ちでなけねば、天下は取れない。
男なら誰もがそうだろうが、歴史小説を読みながら、英傑を自分の身に置き換えて考える
ことがある。しかし普通はそこまでだ。あくまでも空想の世界にとどまるべきものである。
生まれた時代は天下太平の戦後の昭和時代、秩序が定まり、世襲制の復活で
家柄もなく金もない貧しい小商人の子に生まれた者が天下を狙えるような時代ではない。
庶民はそこそこに稼いで、日々を歌って踊って酒に酔って楽しく暮らせばそれでいい…
僕もそう思って、そこそこに稼いで毎日を平凡に楽しく暮らしていた。
しかし、ある日を境に、何の後ろ盾もない僕が一念発起したのである。天下を狙う!と。

僕が小売店主の傍ら、株の売買で暮らしてきたことは、もうこれまで述べてきた。
それはそれで十分楽しくやっており、満足していた。
しかし、権力に睨まれ「かたぎになれ、まっとうになれ」と諭されたとき
株の売買で暮らすことが日本では、博徒の如く思われていることを痛感した。
株でいくら儲けたところで、世間の人々は浮き草ぐらしの博徒くらいにしか思わない。
これを変えねば、日本の資本主義に未来はない。実際、日本は株式市場を軽視するから
経済は停滞し、アメリカにまた水を開けられてしまった。投資家に市民権を与えよう!

とはいっても、親兄弟、親戚に政治家はいない。まずは町会議員、次に町長
次に国会議員、国会では派閥の幹部に伸し上がり、天下を動かす場所を占める。こういう戦略を考えた。
幼馴染、同級生、親戚にお願いして選挙運動をしてもらい、平成3年(1991年)
4月、僕は39才で町会議員に当選したのである。ふつう町村会議員は、年配の人が多い。
名誉職の名残で議員報酬が手取り10数万円しかなく、30代40代の壮年がなっても
生活できなくなるからである。その点、僕は株式投資で得た蓄えがあったので安心だった。

町議会議員になる前は、ある町議会議員の運動員をしていた。田舎の選挙はお祭り的なとこ
ろがあり、祭りと闘争の好きな僕は熱心に選挙運動をやっていた。選挙事務所にいる方が
家にいるより楽しいと思うような男だった。選挙が終わると祭りの後の寂しさと同じ
思いをしたものだった。その熱心さを見込まれて、僕は一運動員から、後援会長に抜擢
された。30才を過ぎたばかりの後援会長は珍しいことで、年上の後援会幹部から文句を
言われることも多々あった。政治の世界は年功序列を重んじるものなのだ。
そういう経過のあと、自ら町議会議員になったのだが、僕は野心に燃えていた。
出来るだけ早く町議会議員を卒業して、上を目指そうと考えていたのである。

国政選挙でも、一般の運動員だと地元の有権者相手の集票活動をするのだが、議員になる
と、若手でやる気のある者は、県都の本部で県下全体の統括の手伝いをすることになる。
国会議員の後援会の役員の名刺を作ってもらい、各市町村の集会に、候補者の代理として
出かけ一席ぶつわけだ。山奥の公民館で動員された地区住民を前にして、
「○○先生がどうしても来られませんので、代理で後援会の幹部にお出でいただきました」
などという地元名士の前口上のあと
「清春先生は若手のホープで、お忙しいなか、わざわざお出かけいただきました」
と紹介される。自分はそんな偉い人間ではないので、面映ゆいのだが、
いかにも若手ホープの政治家みたいな恰好をつけなければならない。
「皆さん、本日は○○のために、お集まりいただきありがとうございます。
 皆様の力添えあっての○○でございます。今日の皆様のご厚情は、帰り次第、○○に
 伝えさせていただきます。本人も顔を出したかったと、さぞ悔しがることでございま
 しょう。さて皆さん、昨今の日本の政治のありかたを考えまするに、どうしても
 ○○を国政の場に送り出していただかねば、どうにもなりません………・・」

聴衆は、僕を国会議員かのように、見上げて話しをじっと聞いてうなずいたり、拍手を
したりする。自分もすっかり若手政治家のホープ気取りでその役割を演じるのであった。
県下をそうして歩き回っているうちに結構その気になってくるから不思議だ。



  • [7]
  • 実録空売屋物語

  • 投稿者:桜井
  • 投稿日:2013年 7月14日(日)22時28分40秒
  • 編集済
 
おはようございます 休日モード 実録空売屋物語
投稿者:草笛 投稿日:2012年 1月 9日(月)08時29分40秒

2011年12月28日 3431宮地エンジ相場は
連日(貸し株による?)大引け前売り崩し攻勢に遭って、苦境に立っていた。
12月21日154円まで斬り込んで高値を示現したあと、この12月28日には
ザラ場127円安値まで売り叩かれていた。実に17.5%の下げで、買い方は浮き足だっていた。

そこに颯爽と現れて、買い方の不安心理を煽り、宮地エンジの手持ち株は早く売れ!!と
売り煽る投稿者が居た。その名は空売屋。空売り禁止令が発令されている宮地エンジなのに
空売屋というハンドルを名乗る奇妙な男だった。

彼は巧みな大阪弁を駆使して、宮地エンジの下落を食い止めんと必死で買い煽っている草笛や
かつての戦士を嘲笑した。草笛はん、あんたも相場の世界の「セミプロ」なら、
売り禁止になった宮地エンジなんか買い煽って、どないすんねん!このドアホが!!
という骨子の投稿が連打された。

株研掲示板読者のうちの臆病者や根性なしは、空売屋の歯切れのよい売り煽りによって
自信が揺らぎ、少なからぬ者が130円前後でいったん利益確定に走ったのだった。

というのも草笛は自分の仕込み段階から衆生もともに救済しようとして同時に買いを
奨める傾向があり、株研掲示板(&花道掲示板)読者の買いコストは110円~120円くらいの人が多く、
130円前後で売っても、まだ利益が出たからだ。
いくら、初動で奨めて、大きな値幅を取ってもらい幸せになってもらおうとしても、
信じる心を持たぬ衆生を救済することは、まっこと難しいものだ。

突然、彗星のように現れたたった一人の売り煽り屋の軽快な売り煽り文で、
草笛への信頼が揺らいでしまうのだから・・・

空売屋の不安心理を操る、そのときの投稿を再掲しておくから読んでみてもらいたい。
なかなかうまいもんだ。ほめてあげたい。今度、買い煽り文に流用してみようかな、とさえ思う。

--------------------------------------------------------------------------------
ほんまもんの筋やったら 投稿者:空売屋 投稿日:2011年12月28日(水)14時23分26秒

売り禁銘柄からは手ぇ引くやろ、
いやいやとっくに手ぇ引いとるで。

新規の売り手がおらんやったら、
あとは買い手の売り合戦いうんは常識やで。

あんさん(草笛のこと)も、もっと大人にならなアカンで、
ガキやないんやから言うとること分かっているやろうに。

--------------------------------------------------------------------------------
書くな! 投稿者:空売屋 投稿日:2011年12月28日(水)14時04分12秒

>この掲示板では、思い切り宮地エンジニアリングを応援します。


--------------------------------------------------------------------------------
売り禁銘柄・宮痔 投稿者:空売屋 投稿日:2011年12月28日(水)14時02分35秒

新規空売りはでけんから事実少しずつ減っているやん。

日が経つにつれ、上げる為の買いと
信用買いの売り決済の戦いになり始めておるでぇ。

売り禁銘柄の売り禁以降の姿は目に見えとるよって
草笛さんよぉ、あんさんもセミプロらしゅうせなアカンで。

買い進んで後ろみたら誰もおらへんかったゆうて
最後にババ掴むんは誰かいな?
_______________________________________

ババ掴みたくない心理が働いて、小心者の宮地エンジホルダーはここで脱落した・・・・
かつての戦士さんが空売屋の売り煽りの影響力のあまりの大きさを恐れて僕に進言した。

「草笛主宰!空売屋を株研掲示板から追放してください。空売屋がいては株研の買い煽り効果が
 発揮できなくなります!!せっかく育ちかけた宮地エンジ相場がダメになってしまいます」

僕はかつての戦士さんに答えて、こう言った。

「追放する必要はないよ。空売屋は、大連水晶玉で霊視してみると買い方と出たよ。
 彼は、有象無象の信念のないチキンの宮地エンジホルダーを振るい落すために
 株研掲示板に使わされた忍びの者だよ。」

宮地エンジ相場で富貴栄光を得る資格がある者は、近くを計る者ではなくて
遠くを計る者である。20円幅、30円幅の小欲に目がくらむ者は、
それだけの心の器しかないのだから、130円で落ちて小欲に甘んじてもらえばよい。
信念なき小心者だけは、この草笛の広大な慈愛をもってしても救い難い。

宮地エンジ東京スカイツリー相場では200円幅、300円幅を取る大欲を持った者だけが
言い換えれば、それだけの心の器(草笛を信じきれる心の器)を持った者だけが成功できるのだ。

空売屋は、あなたがた衆生の心を試すために神がこの株研掲示板に使わされたのです。
凛とした信念を持ち、平成の岩崎弥太郎を目指す者は空売屋の「心の試し」作戦に
動揺したりはしないのです。

草笛は土佐の田舎にある岩崎弥太郎の生家に詣でて、その庭にふれ伏し
一心不乱に「岩崎弥太郎様にあやかりたいあやかりたい」と祈った。
岩崎弥太郎の生家の庭には、庭石が日本列島の形に並べられていた。
幼少の弥太郎が日本全体を睨んで活躍する男になるように、両親が庭石を日本の形にしたのだ。
また草笛は大阪にある土佐藩邸跡地、すなわち三菱財閥発祥の地にある稲荷神社に
お賽銭を打って、株式相場で富貴栄光の道を歩めるように祈願してきた。

空売屋の「踏み絵」にも動揺せず、当初の宮地エンジタネ玉をいまだに堅持出来ている者は
真の勇者です。空売屋の作戦にまんまと乗せられ、小利で利食って、宮地エンジ相場の
傍観者の地位に落とされた者は、小心者です。信じる心のない者です。

そういう意味で、空売屋はよい仕事をしてくれました。
大連水晶玉の霊視通り、実は空売屋は買い方から使わされた者だったようです。

チキンの買い方が128円129円で利食いの売りを出してくるのを
美味しくパクパク食べて、宮地エンジ買い玉を仕込んでいたのです(笑)

仕込み終わった頃に、某多重ハンドルの投稿者が他の掲示板で
「宮地エンジなんか、130円から上には上がらない。宮地エンジを買い煽っても無駄だ」
と書いているのを見つけて、空売屋は激怒!!その投稿者を徹底的にコキおろして
それ以降は掲示板業界において宮地エンジ弱気投稿しにくい雰囲気を作ったのであった。
つまり、空売屋の正体は「買い方」だったのです。

空売屋に試されて、120円台や130円あたりで小幅利食いした読者の皆様、
これが、ネット仕手相場の醍醐味ですぞ!
「買いたい弱気」「売りたい強気」という言葉が、一番如実に現れるのがネット仕手戦なのです。


  • [6]
  • [5] 株研掲示板から消えた男たちの物語 第二話

  • 投稿者:大運
  • 投稿日:2013年 7月 6日(土)02時49分27秒
 
株研掲示板から消えた男たちの物語 第二話 勝馬編 投稿者:草笛  投稿日:12月27日(水)12時15分
石井鐵工相場時代の副長だった勝馬さんは愛称重戦車、まっこと気風(きっぷ)の良い男だった。
石井500円→100円台へのストップ安連荘の相場崩壊で主宰者草笛はボロボロになっていた。

それでも、掲示板業界では、

「草笛は石井鐵工相場では200円→500円の買いで大儲けし
 今度は500円→100円台の空売りの往復ビンタで大儲けしているはず
 草笛は根性が汚いから、それくらいのことはやる奴だ!!」

と、悪口なのか、誉め言葉なのか分からない噂が流れていた。

私は石井相場ではもうボロボロにやらてれ気息奄々の状態だったのだ。
しかし、掲示板では私は売りでも儲けて、まだ力が残っているように書かれていた。
よし!その虚像の草笛像を生かして、また相場の世界で復帰する手もあるな、と私はほくそえんだ。

そのとき力を貸してくれたのが勝馬さんだった。
私が奨める田淵電機をぐいぐい買ってくれたのが勝馬さんだった。
彼は、上値の3本板を全部食うような買い方を好んだ。

「上値1本の板を全部買っても投資家はついてこない。上値3本の板を全部食い
 さらに4本目の板まで買って値をつければ、皆がそれ~~!!とついてきます。
 私がガンガン買って草笛さんの買いだと皆が思うようにしますよ」

矢折れ、力尽きていた私にとって、この勝馬さんの言葉と実行力は本当にありがたかった。
今は、上値3本値の売り板をオール買いをすると、証券会社から注意されるが
ネット時代初期は、まだネット以前のやり方がまかり通っていた。

株研掲示板で私が推奨する銘柄は、こうして次々ぶっ飛んで上がっていき
株研掲示板は石井鐵工相場敗北以前の盛況を、再び取り戻したのであった。

或る日のこと、勝馬さんは、ある銘柄を空売りして担がれて、何千万の評価損を食らった。
私は義によって、その銘柄を売り煽りした。原則、売り煽りをしない私だったが
勝馬さんの苦境をなんとか助けたかったのだ。
ヤフー掲示板で、私がその銘柄をボロ株だ糞株だとガンガン売り煽ったら、
しばらくして、その銘柄の相場は崩壊し、ストップ安の連荘になった。

「勝馬さん、空売り銘柄の暴落おめでとう!これであなたは生き延びたね」
「・・・・草笛さん、せっかく売り煽りしていただいたのですが、申し訳ない。
 売り建て玉が大きすぎ、もう一回ストップ高を食らうと、有り金を失った上に
 家の財産まで失う恐れが出てきて、リスク管理上、全株踏み上げの買い戻しをやり
 損金を確定させました。
 そのあとで、草笛さんの売り煽り効果が出てきて暴落を始めたのです。
 悔しいですが、あと一日の辛抱ができませんでした・・・でもこれが相場ですよね」

こうして勝馬さんは、これ以後、あまり株研掲示板には投稿しなくなった。
しかし、今も元気で生きておられることは確かです。

  • [5]
  • 株研掲示板から消えた男たちの物語

  • 投稿者:大運
  • 投稿日:2013年 7月 5日(金)00時47分36秒
 
株研掲示板から消えた男たちの物語 第一話 夢二編 投稿者:草笛  投稿日:2006年12月27日(水)11時35分22秒?
株研掲示板ではかって私のお気に入りの投稿者は幹部の称号を与え
適当に役職をつけていた。

主宰者草笛を別格として、最高の称号は「副長」だった。
栄光の副長職につけた男は株研掲示板5年の歴史の中、片手で数えるほどしかいない。
その他、気に入った投稿者を婦人部長とか、総務部長とか、地区長、顧問とかに任じていた。

総務部長を自らかって出た投稿者に夢二さんという男がいた。
講演会で会ったとき、そのスマートな語り口、女性を引きつける明るい容姿、
そしてなにより文章の詩的なうまさ、これは総務統括部長にうってつけだと思った。

昨年夏ごろ、彼から何を買えばいいのでしょうか、と聞かれたとき
400円台のエスイーシーを10万株程度、強気で買っておけ、とアドバイスした。
しかし彼はこう答えた。

「エスイーシーは300円前後だった株ではないですか?草笛さん、上がってから銘柄を
 教えるのではなく、これからやる銘柄を前もって教えてくださいよ!」

そういう言い方をする人が実は多いものだ。いまやっている銘柄ではなく、次にやる銘柄を
知りたい、と言うのである。

私はそういう人は、あまり好まない。元の値段から50円や100円上げていても
良い株は良いのだ。勢いにつかねばならない。

結局、夢二さんは、くだんのセレスポを600円前後で沢山買い込んだ。
私は、「セレスポは一度相場があった銘柄で、しこりがあって、当分相場にはならんよ
それより、これからやるエスイーシーのほうが面白いよ」と口を酸っぱくして口説いたが
彼はエスイーシーはピンとこないと拒否した。

そしてセレスポの暴落とともに、投稿数は減ってきて
もっと投稿せい!という私の叱咤激励も虚しく株研掲示板から消えていった。

多分、夢二さんは相場の世界でまだ生き延びておられると思うので
(なぜなら、彼が買ったセレスポもセコニックも5分の1や10分の1に暴落していない)
2007年新春になったら、元気に株研掲示板投稿者として復帰していただきたい。
今は幹部制度、役職制度を廃止し、一視同仁、万人平等の株研掲示板でございます。

  • [4]
  • 阿佐ヶ谷物語

  • 投稿者:大運
  • 投稿日:2013年 7月 3日(水)00時27分25秒
 
→ 休日モード ゴールデンウィーク特別企画 阿佐ヶ谷物語 第一章 投稿者:楽円  投稿日: 4月30日(日)23時09分31秒 5.8.87.61.ap.yournet.ne.jp
2001年1月、JR中央線阿佐ヶ谷駅の改札を通ると、そこは雪国ではなく、
人ごみに溢れていた。

当時私が主宰していた丸善掲示板の常連・ハンドルネーム投資竹氏から
「阿佐ヶ谷で、おでんの店をやっているので、上京したら立ち寄ってください」
と前々から言われていた。

1月31日に伺いますとメールを出しておいたのは、正月早々のことだった。
1月の末には丸善の第二次相場も目鼻がついているだろう、200円台なら残念会、
300円台なら激励会、400円以上なら中締めの祝勝会。
どっちにしても丸善を肴に、酒が飲めるという計算だった。

駅に着いたら電話を下さい、お迎えに上がります、という言葉に甘えて
改札口でハイライトに火をつけ一服しながら待っていた。
ほどなく「歓迎 丸善友の会御一行様」ののぼりを高く掲げた人の良さそうな中年の男性
が現れ、あたりを見まわしている。それが投資竹氏であった。

駅の雑踏の中でも良く見えるようにという配慮なのだ。田舎の温泉町の駅で目にする光景
ではあるが、東京ではめったに出会わない光景である。東京は本来よそよそしい街であり
のぼりをたてて私を出迎える光景は東京の人々の目には奇異に映ったことだろう。

改札口前にたむろする人々の視線が丸善ののぼりに集中している。「なんだ、あれは!」
というあきれた表情がその視線から汲み取れた。丸善戦士は叩かれても、笑われても
もう何にも苦にならない境地へと昇華を遂げているのだ!と、投資竹氏のひたむきな姿
に絶句しつつも、おもわず目頭がうるみ、胸に熱いものがこみ上げてきた。

「草笛です。はじめまして」
「はじめまして。投資竹です。ようこそ阿佐ヶ谷までいらっしゃいました
 丸善、上がり始めましたね。今夜は楽しい会になりますよ」

毎日、掲示板で語り合っているけれど、会うのは初めてだから、はじめまして、とまず
言わざるをえない。しかし、会った瞬間、もう何十年も前からの知り合いのように
打ち解けることができた。

百年間、隣に暮らしていても記憶に残らぬ人もいれば、たった一日の出会いが一生忘れら
れなくなる人もいる。人の出会いとは不思議なものだ。時間の長さではなく、
同じ思い、同じ夢、同じフィーリング、同じ人生観、同じ波長の人と出会うと
言葉を二三ほど交わすだけで、一瞬にしてお互いの半生を理解しあえるものなのだ。

                     このあとすぐ 第二章につづく
→ 阿佐ヶ谷物語 第二章 投稿者:楽円  投稿日: 4月30日(日)23時15分0秒 5.8.87.61.ap.yournet.ne.jp
お店に入ると、既に三人の丸善戦士が座っていた。当日総勢11名の戦士が集まって
来るとの事。私が上京するにあたり、投資竹氏に、
「もしも、草笛と一緒に飲んで語りたいという人がおられたら声をかけておいて下さい」
と言っておいた。3,4人も集まれば良いと思っていたら結局11人になったのであった。

ネットで知り合った者同士が実際に会うなんてことは想像もしていなくて、
これが私達にとって初めての掲示板仲間のオフ会だった。
一体どういう雰囲気になるのだろうと一抹の不安もあったが、案ずるより産むが易し。
11人が揃い、一番遠く九州博多から駆け付けてきたハンドルネームすいかさんの乾杯の
音頭で宴が始まるや、全員が10年来の友人のように打ち解けて話し始めた。

もちろん、呼び名は使いなれているハンドルネームである。福岡県、島根県、愛知県
富山県、千葉県、埼玉県、東京都、住所はいろいろだった。

全国から集まってきたところがネット掲示板の仲間らしいところだ。
丸善という株に出会ったために、投資家としては苦しい目にあっているのに、みんな
一様に明るいのだ。いつかきっと勝利の日が来るという信念のせいだろうか。いや
それだけではない。勝っても負けても、ネットの株式掲示板で喜び悲しみを分かち合った
こと、そしてその戦士の面々が現実に目の前にいることにみんな感動を覚えたのである。

「こんな素晴らしい出会いがあるなんて・・・自分の人生は今日の日のためにあったんだ、
 という気がしています」

追証責めにあって、丸善で泣いたこともあると言う富山県から来た人が晴れ晴れとした
笑顔で語った。その挨拶が、なんの抵抗もなく心にスーと入ってくるのであった。

めいめいが雑談に入ったとき、間合いを計ったように語り始めた男がいた。

「実は私はね、自殺をしようと思うほど相場でめちゃくちゃにやられたことがあるんです」

恰幅のいい紳士然とした男だった。酒が入りざわめいていた席がしーんと静まりかえった。

                       このあとすぐ 第三章につづく
編集済
→ 阿佐ヶ谷物語 第三章 投稿者:楽円  投稿日: 4月30日(日)23時19分12秒 5.8.87.61.ap.yournet.ne.jp
「あの有名な兼松日産農林相場の時のことなんです。5000円まで行ったとき、利食
いを入れていれば大儲けだったのですが、加藤先生から1万円まで行くよ、と直接言われ
ましてね。そのまま信用建てを続けていたら、ご存知の通りの大暴落、大儲けのはずが
追証責めで億の借金を抱え込む境遇になったんですよ。あのときはつらかった・・・」

淡々と語るこの人こそが後に独立したグループを作ることになる明氏だった。
ネット掲示板で集う人は、単なる無名の個人投資家が多く、
仕手の神様と呼ばれる伝説の相場師・加藤氏を知っていると明氏に言われると、あたかも
水戸黄門様が葵の印籠を取り出したときのように、恐れ入りました!と皆が平伏せざるを
えなかった。

相場の真髄、心の持ち方、自然体、自燈明、足の裏で歩け、明氏は仏教用語を駆使して語
り出した。私の上京に合わせて集まったはずのオフ会が、明氏の法話を聞く会になった!
このとき集まった人々は結局、明氏を囲む会(大樹の会)の当初メンバーになったのである。

私は人と人の出会いを成就させるコーディネーターの役割をすることが多い。
私の周りにやってきた後、ある程度名前が売れてくると徒党を組んで私のもとを去って
いく場合が多い。私は淡白なところがあり、去る者は追わない。人生の本質は別れだと思
っているからだ。親子だって恋人だって、夫婦だって、いつかは必ず別れのときがくる。
会うは別れの始めなり。さよならだけが人生だ。

明氏はその後、ネット界のカリスマの一人として有名になっていった。彼との付き合いは
足掛け5年に及ぶ。しかし、明氏の会心の出世株・トスコ相場の高値圏での彼の買い煽り
を私はやり過ぎと思った。そして2005年夏に明氏とは袂を分かつことになった。
万年強気が売り物の私も、明氏のトスコの万年超強気には、さすがについていけなくなったのだ。

私はハンドルネームを昨年まで草笛と名乗っていた。

「草笛さん、草笛と言う名前はあまりよくないです。
 草は樹の周りに生えて枯れて樹を育てる肥料になるだけだよ。
 人は大樹にならねばいかんのです。草では大成できません!」

明氏は草笛という名前では駄目だ、と私に平然と言ってのけた。
人のハンドルネームに文句を言うな!と心で反発をしていたものの、気にはなった。
そこで、ある占い師に占ってもらったら、やはり草笛の名前は運勢的によくないと言われた。
2005年7月から草笛改め楽円としたのは、こういう経緯なのである。

阿佐ヶ谷でお会いした人々はもうすでに一人も株研掲示板には残っておられない。
まさしく、さよならだけが人生だ。
株式投資という餓鬼道には、騙し合い、妬み、恨みつらみ、裏切り、が渦巻いている。
株の世界においては、長く続く友情など砂漠でゴマ粒を探すくらい難しいことだ。

だが、そんな世界にあってもなお、信じあうことの喜びは確かに存在しうると私は思いたい。
株式相場の戦いは苦しみの連続であり、試練はこれでもかこれでもかと押し寄せてくる。
しかし、私達は人間として尊いもの、信頼、友情、共に夢みる心、を失ってはいけない。

たとえ、株研から去る者だらけでも、孤高に高く理想の旗を掲げて進んでいこう。
愛と誠 証券報国の旗を握り締めて、それでも富貴栄光への道を歩き続けよう。絶好調!

                           阿佐ヶ谷物語 完
編集済

  • [3]
  • 竹下登 首相最後の笑顔

  • 投稿者:大運
  • 投稿日:2013年 7月 2日(火)23時46分18秒
 
復刻版週末物語 竹下登首相最後の笑顔 前編 投稿者:草笛  投稿日: 6月11日(土)

僕は竹下登氏が首相になる前から竹下の運動員であった。
僕が応援をしていた町会議員がたまたま竹下派だったので
自動的に竹下派の運動員になったのである。

竹下氏が首相になったときは、まるで自分が偉くなったみたいにうれしかった。
提灯行列まではやらなかったが、喜んだ地元の後援会会員が中学校の体育館に大勢集まって祝賀の宴をやったっけ。

しかし長期政権の呼び声が高かったのは最初の半年くらいのものであった。
竹下首相は消費税導入で国民の支持がどんどん低くなり、リクルート事件も表面化し
て支持率は消費税なみの低率に落ち込んでいた。

そんなある日、東京で自民党青年部の全国代表者研修が行われ、
僕は島根県自民党青年部代表に選ばれ出席した。

講師は自民党の大幹部で錚々たるものであった。もちろん竹下首相も講師の一員とし
て来場していた。竹下首相は自分の講演の出番を、控え室で待っていた。

僕を東京まで引率してくれた県会議員が「首相に会わしてやろうか?」という。
二つ返事で県会議員の後に付いて行って、控え室に向かった。
控え室の前は首相を警護する首相専属SPたちが厳重に警備していた。
しかし、「地元の竹下後援会の者だ、首相に話がある」の一言でさっと通してくれた。
そいうところが地元の後援会会員の強みである。

首相は独りきりでソファーに深深と腰を沈めていた。
支持率が歴代首相の最低記録更新中で、さぞかし憔悴しておられるだろうな、
と思っていた僕は、首相の顔を見て驚いた。

笑顔なのだ。

首相は庶民のタバコであるハイライトをうまそうに吸いながら
「草笛君というのか、田舎からはるばるよくきたな、ご苦労さん」
とまず、やさしくねぎらいの声をかけてくれた。
大物は違うな。このような逆境の中でも平常心を忘れないものなのだ、と
つくづく感心した。
首相の笑顔は、なにかふっきれたような感じであった。

「竹下首相!私たち地元青年部はこれからも首相のためにがんばります!!」
「うんうん」

首相は僕のありふれた追従の言葉にはあまり興味なさそうだった。

「君たちも政治の世界で、上を狙っているかもしれないが、
 俺はまだまだ国会議員はずうっと続けるぞ。
 俺が生きている限り、君達は国会議員にはなれそうもないな、はははは」

首相は県議と僕に向かって笑いながら言われた。そのときの首相の眼光は鋭かった。
権力者は自分の熱烈な支持者に対しても、そういう見方をするものなのかと背筋が寒くなった。

        明日 日曜日夜 週末物語 竹下登首相最後の笑顔 後編につづく

復刻版 週末物語 竹下登首相最後の笑顔 後編 投稿者:草笛  投稿日: 6月12日

竹下首相の講演は穏やかなものだった。竹下氏は人の悪口を絶対に言わない人で
聴衆を笑わせることがうまかった。
消費税は日本の将来のため導入せざるを得なかった、私の評価は後世の史家がしてくれる
だろう、というようなことを淡々と話していた。
印象的だったのは、各派閥の長や、大幹部がつぎつぎに竹下首相をほめそやして
いたことだ。曰く

「竹下首相は消費税という大仕事をした功績で戦後の首相の中で最も偉大な首相とし
て永遠に記憶されるであろう」

「竹下首相は国のため身を挺して消費税を導入した名宰相であった」

その誉め方が尋常ではなかった。まるで追悼の言葉のようだったのである。

講演が終わり会場を出ると入り口にテレビ局のレポーターが待ちうけていた。
僕の胸に島根県の文字があったからなのか、テレビ朝日のレポーターにインタビュー
された。

「あなたは竹下さんを支持していますか?」
「当たり前でしょう。竹下首相は郷土の誇りです」
「竹下さんは消費税で国民からそっぽを向かれていますが?」
「消費税は日本のために必要なんです。地元では竹下首相はすごい支持率ですよ」

この模様は久米宏さんのニュース番組で全国放送された。久米宏さんのコメントは
島根県人を揶揄するようなものだった。今、森首相の地元で住民にインタビューして
森首相への支持を言わせて、笑い者にするのと同じ手法である。

竹下首相のふっきれた表情、派閥の領袖たちの追悼のような演説、テレビ局が
わざわざ竹下支持の僕をインタビューして揶揄する。これはなんか変だと感じた。
研修を終えて田舎へ帰って数日後、竹下首相は突如、辞任を表明した。
ああ、やっぱりそうだったか。首相はあのとき辞めることを決心していたんだ。
自民党幹部はそれを察して、後継指名を受ける為、歯の浮くような賛辞をしていたの
だ。
僕は首相としての竹下登氏の最後の笑顔の目撃者だったのだ。

あの日から10年、竹下登氏は国会議員を続け、政界の影の実力者として君臨しつづけた。彼が引退を表明したのは5月1日。死ぬ1ヶ月あまり前のことだった。
彼は死を目前にしても、ぎりぎりまで重病を隠して選挙に臨んでいた。

竹下氏は選挙のときは、いつも全国を応援に回っており、地元にいたことはない。
このときも、本人は東京にいて、地元に今度も出馬すると意向が伝えられていた。
その意向を受けて後援会によって激しい選挙運動が繰り広げられていた。
僕も有権者に竹下健在を言って支持を訴えていた。だが竹下登氏は元気だ、という情報は
完全なる大本営発表だった。

すごい、すごすぎる。権力者は死の寸前まで権力を手放そうとしないことを歴史からは学
んでいたが、現実、目の前でそんな歴史劇が繰り広げられていたのだ。
首相辞任前夜、私に向かって、「俺は死ぬまで国会議員のままでいるぞ」と
竹下氏は言い切ったが、その言葉どおり彼は首相をやめたあとも国会議員であり続け、
国会議員のままで死んだ。

政治家も相場師も生涯現役でいなければならない、引退は負けだ、ということを
私は竹下首相の死ぬまで国会議員でい続ける姿勢から学んだのであった。

                   竹下登首相最後の笑顔  完

  • [2]
  • アポロ物語

  • 投稿者:大運
  • 投稿日:2013年 7月 1日(月)21時53分0秒
 
→ 特別読物 8206アポロ(旧エルメ)物語 投稿者:草笛  投稿日:2005年?9月13日(水)
この株(112円▲10円)は、もともと婦人服子供服の会社だった。
その割には紀子様ブームで話題にならなかった。

1月の400円から株価4分の1になっているところは
ナルミヤと似ている。

キムラタンとアポロは無配会社だ。
これらとナルミヤといっしょくたにしては、ナルミヤが可哀想だワナ。

昨年アポロが株式市場の花形と言われていたとき
アポロの社長に会って相場論を語りあったことがある。
彼はなにかの人脈でアポロの社長になっていた。
彼と私が20歳台のとき縁があって、お互い知り合いだったのだ。

アポロはご存知のように、婦人服子供服の会社から投資会社に衣替えしていた。
大株主が香港の投資会社に変わったからである。
彼は香港資本を背景に社長になったわけだ。

ひさしぶりに会って感心したことは、オーラのような風格が彼にあったことだ。
役職が男に風格を与えるものだと改めて思った。
田舎で暮らして、ちまちまと株をやっている男と、
大東京で派手な投資をやっている上場会社の社長の違いは歴然としていた。

「俺はね、その後、田舎にくすぶって株をやっているんだわさ!
 今ね、スーパーバッグという銘柄と東洋埠頭という銘柄を買っているんだ。
 そうそうセコニックという会社も買っている
 これらの会社は土地の含み資産も多いから、土地の値上がりで相場になると思うよ。
 アポロでもスーパーバッグに投資してみたらどうだい?」

「ははは、草笛君、君は相変わらず株が好きだね。銘柄を良く調べているようだね。
 話としては面白いと思うよ。
 でもね、現代の投資は、君のようなやり方は流行らないのだよ。
 機関投資家のやり方はね、場で株を買って相場を張るようなやり方じゃあないんだよ。
 今はね、資金の欲しい会社と掛け合って、第三者割り当てや、転換社債を引き受けて
 資金を提供して、その会社の株券を手に入れるんだよ。
 君もそういう時代の流れを知らなくてはいけないよ
 上京したら、いつでも俺の社長室に話しにこいよ」

「そうかぁ~~。銘柄を調べて、株を場で仕込む時代ではなくなっているのか~~。
 でも、俺はね、相場師ちゅうものは、やっぱ、場で仕込んで売買で儲けるのが
 本当だと思うけどな」

「今日はお互い飲んでいるからね。必ず本社に来いよ。しらふで話そう!」

「わかった。それじゃあ相談に行くよ、1月に南米へ旅行に行くから、
 次の上京は2月以降になると思う」

そして2006年1月からライブドア事件勃発。
ホリエモンの逮捕はペルーのリマのテレビで見た。
ライブドア事件以後の市場崩壊で私もやられたが、アポロの株価も急落した。

私は株で大損して、もうアポロの社長室へ株の相談に行く気をなくしてしまった。
そして、なによりも、友人の彼自身が社長ではなくなっていた・・・・・

                        アポロ物語 完
 

  • [1]
  • 瀋陽夜曲

  • 投稿者:大運
  • 投稿日:2013年 6月30日(日)10時48分40秒
 
君がみ胸 抱かれて聞くは
夢の船唄 鳥の歌
水の蘇州の花ちる春を
惜しむか 柳がすすり泣く

蘇州は水の都
瀋陽は工業の都

中国は南部より、北部が工業化され発展しているように思えます。
特に日本が戦前実質統治してインフラ整備をやっておいた東北3省が発展している。
ある意味、日本は国威を賭けて、満州に資本投下をしたのです。
大連や長春(旧新京)の戦前のインフラ整備は、日本の地方都市などとは比べものにならぬほど
スケールが大きい。
戦前日本によって都市計画され作られた広い道路は、
いまもそのままで十分車社会に対応している。
こういう面は評価されてもいいだろう。今は表立って日本の功績など言えないが
ものごとには必ず良い面と悪い面がある。
戦前の日本が行ったよい面もいつか語られる日が来るだろう。

4月に瀋陽に行ったばかりなのに、ツアーの日程上、また瀋陽に行った。
モニターツアーを募集していて
瀋陽、大連、旅順3泊4日のツアーが格安の4万円台だったからだ。
好きな中華料理を毎日食い放題というのも魅力だ。

ちなみに島根から東京への往復飛行機代は5万5千円くらいだ。
つまり国内を移動するより海外旅行が割安なのだ。

目玉は旅順の203高地に上って、戦勝祈願をすることだった。
旅順港は中国海軍の重要基地になっており
長く外人の旅順地区への立ち入りを禁止していた。
よって旅順の203高地への観光が許されたのは比較的新しいことなのである。

旅順のことはまたいつか書くこともあるだろう。
ツアーだから、瀋陽に続けていくことになった。瀋陽は旧名奉天と言い、古くは
満州王朝(金=清王朝)の首都、昭和初期は軍閥張作霖の政府があった場所だ。
今回は張作霖の邸宅を見てきた。戦前の軍閥の富と権威を表す壮大な邸宅だった。
彼は関東軍に殺され、そして満州国が誕生したのである。享年54歳。
一代で中国一の軍閥にのし上がった張作霖は只者ではない。
54歳という若さで中国最大の軍閥の総帥になっていたことには驚嘆した。

現地のガイドは女性だった。このガイドさんがスタイルもよく可愛い人だった。
「夜はカラオケへ行きませんか?希望者があったら、ホテルのロービーでお待ちしています」
一日の旅程も終えて夕食も済んだあと、彼女がツアー参加者全員に言った。
私は歌が好きなので張り切って部屋でひとやすみしたあと、ロビーに降りた。
ロビーには彼女ひとりだった。

「他に希望者はいないのかな?」
「そうですね。昼間の観光で疲れて、夜出かけようという人は少ないかもしれないですね。
 旧東北地区へのツアー客は年配の方が多いのですよ
 平均年齢75歳といった感じです」

満州への郷愁旅行は年配の方が多い。
4月に行ったときは最高齢95歳のノモンハン戦線生き残りの関東軍のパイロットがいた。
今回の最高齢はそれより若くて、関東軍元兵士85歳がいた。夜、カラオケに出かけるには
皆様ちと歳を取り過ぎている・・・

しばらくガイドさんと話してしたら、比較的若手(と言っても還暦祝いが近い年齢)の
男性が3人ロビーに降りてきた。
「それじゃあ、行きましょう。タクシーは2台に別れましょう。
私は楽円さんと二人で一台に乗りますから、あなたたち3人はもう一台であとか
らついてきてください」

私はいつも運がよい。
タクシーの後部座席に可愛いガイドさんと二人で座って、夜の瀋陽の街を観光だ。
「あのビルは何々、あの建物は何々、あれが日本総領事館の建物・・・」
私ひとりのために説明してもらって儲かった気分だった。

カラオケというから、日本のカラオケボックスみたいなところを想像していた。
ところが着いてビックリした!店に一歩入ったら、15人くらい着飾った女の子が
総出で並んで「いらっしゃいませ~~~!」と出迎えてくれるではないか。
その女の子たちが20歳~23歳くらいで、TVタレントみたいな綺麗な娘もいた。

4人の客に女の子が4人ついて、それにママもつき、ガイドさんもついて
女性6人に囲まれてのカラオケ。なにかバブル時代の再来のような錯覚に陥った。

還暦の祝いが近い3人の連れの目が輝いた。
彼らは自営業のオヤジたちで皆バブル時代を謳歌したくちである。

女の子たちは、デュエットで日本の歌を歌い、チークダンスをし、
私がタバコをくわえれば、さっと火もつけてくれる。
「カニカニ・チョウ」というゲームを教えてくれて、負けた方が一気飲みだ。

可愛いガイドさんだったが、その場では、派手な衣装の20歳くらいの女の子に
太刀打ちできず
「やっぱりね、私がいても邪魔者ね」
と笑って席を立った。

私の隣のホステスさんが、ガイドさんが消えたのを見計らって訊いてきた。

「あなた、今夜はどのホテルに泊まっているの?」

         投稿が長くなってきたので、明日の夜 続きを書きます



ホステスさんの名前は愛と言った。
愛と誠の掲示板主宰者の相方にふさわしい源氏名だ。

黄色いミニスカートに白いタンクトップ姿。
背は高くなく、細身。髪は茶髪、顔はテレビタレントなみの可愛さ。
ふらわ~ほ~ん&B’魂の下部研メンバーならよだれを流しそうな女の子だった。

「俺がどこに泊まっていようが、関係ないだろ!
 それより、一緒に歌おうよ デュエットできる歌を何か知っているかい?」

「銀座の恋の物語 居酒屋 二人の大阪 わたし 歌えます」

大阪関空から飛んできたので、二人の大阪を選んで一緒に歌った。

♪忘れはしないわ あなたのことは
 瞼を閉じれば 昨日のようさ
 二人で歩いた御堂筋 そぼふる小雨の淀屋橋~~~♪

席に戻ると、彼女がまた訊いてきた

「ねえ それで あなた ホテルはどこに泊まっているの?」

「そんなに知りたいなら、教えてやるよ」

実は、ガイドさんが観光を終えてホテルに向かうとき

「今夜のホテルは特色があります。北朝鮮が出資して経営している瀋陽でも異色のホテルです
金日成誕生日には、北朝鮮関係者が一同に会してこのホテルで盛大にお祝いが催されます」

と言ったのだ。

ホテルに着いて、フロントに行くとチマチョゴリの受付嬢が金日成バッチをつけているではないか!
ホテル内のみやげ店に入ってみたら、北朝鮮産のお酒、朝鮮人参、そして金日成と
金正一の記念切手集。
なんのこっちゃ!まるで北朝鮮旅行に行った気分だ。完璧に北朝鮮国営ホテルだったのだ。
身元を確定するためだと言って、パスポートをコピーされた。いろんなホテルに泊まったことがあるが
パスポートをコピーされたのは初めての経験だ。
パスポートには緊急連絡先として妻の名前や自宅の住所電話番号が書いてあるのだ。
これは個人情報保護条例違反だわね。

話をカラオケクラブに戻す。

「俺が泊まっているホテルはね、○○○ホテルだよ」

「え~~!そんなホテル聞いたことないわ どこにあるのよ」

ホテルに帰るとき迷子にならぬよう、持ってきたホテルのマッチを女の子に見せた。
ホテル名がハングルで書かれている。

「ああ~~分かったわ このホテル・・・」

それから先はもう彼女からホテルの話題は出なかった。

小説なら、彼女が実は脱北者で、生活のためにホステスをしていて
北の工作員から狙われている、という設定で盛り上がるだろう。

社会主義国のホテルは厳しい管理下にある。昔のソ連のホテルでは各階に見張りの係員が
ひとりづつエレベーター近くに座っていて、出入りする客をチェックしていた。
中国でも昔はソ連と同じで各階に監視員が座って廊下を監視していた。
世界で一番厳しい社会主義国北朝鮮は言わずもがなだ。
町を自由に歩いただけで公安警察がすっ飛んでくる。むろんホテルの中にも自由などない。

かくして、ひたすらに好きな「東京砂漠」などのカラオケを歌い、
一人につき日本円で6000円のカラオケ&ビール代を払って帰った。
日本での飲み代に比べ、スナックとしてはちと割高、クラブとしてなら割安だ。
自分としては若い娘さんに囲まれて歌って踊って6000円ならリーズナブルと感じた。

ちなみに現地のコンビニではビールの大瓶1本が3元=40円程度だ。
私はビールを大瓶で3本ほど飲んだ。原価120円から言えば、
一人6000円の料金はかなりボロい商売だわな(笑)

                        瀋陽夜曲 完