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東京城北物語

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sage

  • [7]
  • 東京城北物語 第一章

  • 投稿者:
  • 投稿日:2013年 6月30日(日)14時25分28秒
  • 編集済
 
【投稿者:草笛】

バブル時代の始まる前に僕とその仲間は東京2部の谷藤機械
(現在の6343フリージア・マクロス)を買っていたことがある。
東京の株好きのある社長が買っている事を知っていて提灯をつけていたのだ。
その社長の名前をC氏としておこう。C氏は証券畑の人ではなく
小売り業の会社経営者だった。バブル時代には業種を問わず株式投資に
熱心な企業経営者があちこちにいた。中小企業には場違いなディーリングルームが
あり、クイックを備えて売買している社長などをあちこちで見かけたものだ。

C氏は株式投資部を作って、担当者を置き、売買や情報収集を複数の者にやらせていた。
C氏はひたすら谷藤機械を買い続けていていくらでも上値を取ってくるから、提灯をつけていた僕も労せずに儲けさせてもらえた。
谷藤機械をやる前から、C氏の取り巻きとのつきあいがあり、共同戦線で色んな銘柄を
やっていたのだが、C氏の本命は谷藤機械であった。

僕が谷藤機械を山陰一帯で熱心に奨めていたためなのだろう、C氏から会いたいという連絡があった。
僕は売り物を片っ端から買い進むC氏に興味があったので喜んで承諾して、満を持して上京したのであった。

昭和61年の早春、僕は上京してC氏に会いに行った。C氏の会社の本社ビルは東京の城北地区にあった。
自社ビルの最上階が社長室のある場所だった。
エレベーターを降りて社長室に入るとC氏が待っていた。

「はじめまして。草笛と申します」

「あなたが草笛さんですか。一度お目にかかりたいと思っていました」

C氏は元来、証券畑の人ではないので、業界特有の株屋臭さがなかった。
どうしてこういう温和で実業家肌の人が魑魅魍魎の株の世界に足を踏み入れたんだろう?
というのが僕の正直な感想だった。その日は奇しくも丁度、谷藤機械がストップ高をした日だった。

「草笛さん、今日はお互いの祝福の日です。谷藤機械がストップ高しました。
 今日、わたしは谷藤機械だけで7億円儲かりました…。あなたも儲かったでしょうね、アハハハハハ」

C氏は細い目をさらに細くして恵比寿顔で大笑いをしてみせた。
この日がC氏の生涯最良の日だったのかもしれない。

100円高で7億円ということは1銘柄700万株もっているということである。
僕も100円高で気分を良くしていたが持ち株の桁が違っていた。
僕はせいぜい1銘柄の投資玉は10万株が限度であった。
ストップ高があっても、一日1000万円の評価益しかなかったので
C氏の開口一番今日は7億円儲けましたの言葉にド胆を抜かれ思わずうつむいてしまった。

やはり東京の相場師はスケールが違う。田舎で相場の神様と言われて鼻高高でいた僕は
思いきり鼻をへし折られた。伊達正宗が東北の田舎大名で自分は大物だと思っていたら
豊臣秀吉の小田原攻めに参戦して、そのスケールの大きさにびっくらこいたのと似ている。

「おめでとうございます、社長に提灯をつけていて正解でした。
 おかげさまで僕もしこたま儲けさせていただきました……」

恥ずかしくて株数は言えなかった。それでも見栄を張って大物ぶる僕であった…・・

「草笛さん、なにか良い銘柄ありませんか?あなたの銘柄をお聞きしたいのですが…・」

その言葉を僕は待っていた。飛ぶ鳥を落とす勢いのC氏と共同戦線を組めば、当たる所
敵無し。どんな銘柄をやっても勝てそうな感じがしていた。もちろんC氏のおこぼれに
預かり、僕も零細投資家から山陰随一の大金持ちに伸し上がりたいという野心があった。

「とっておきの銘柄があるんです。東京の大田区にある日興電機工業です。いすゞの電装品を作っ
ていますが、資本は社長一族が持っています。しかし30%台の持ち株でしかありません。
発行株1000万株で株価は300円台。手頃の株価です。
500万株買って乗っ取っては如何でしょう?土地の含みもあるし、いすゞから
株の買い戻しの交渉が来ると思われますので面白いと思いますよ」

僕は自分が大量に仕込んだものの、しこりまくり動かなくて困っている東京2部の日興電機工業を
いかにも大化けしそうに脚色して唾を飛ばせる勢いで熱っぽく語った。

目の細い恵比須顔のC氏の顔が見る見る厳しく変わってきて僕の目をキっと見据えた。
僕は若手相場師を演じて大言壮語していたが、実は胸の動悸がC氏に聞こえはしないかと
心配になるほどに緊張していた。

              第二章に つづく??




  • [6]
  • 東京城北物語 第二章

  • 投稿者:
  • 投稿日:2013年 6月30日(日)14時23分15秒
  • 編集済
 
【投稿者:草笛】

日興電機工業はディーゼルエンジン用電装品製造の会社で、東京大田区、神奈川県秦野市
などに17万8千?の工場を持っていた。
大田区東六郷の本社工場敷地の簿価は全体で200万円、秦野工場の簿価は8100万円、
要するにただみたいな値段である。しかも銀行株を中心に351万株の株を保有していた。

日興電機工業の発行株1000万株の過半数500万株を株価300円台で買えれば
20億円もかからない。乗っ取った会社の土地の一部を叩き売れば元はとれるのだ。
自動車部品株は万年不人気であるうえに、人気のない不振の「いすず」の系列なので
いよいよ不人気で誰も顧みるもののいなくて、日興電機工業は究極の不人気低位株だった。

いかに含み資産があっても、会社になんの将来性もないので、僕が少々買ったくらいでは
うんともすんとも動かなかったのである。(今ならディーゼル排ガス浄化装置をネタに出来たが・・・)

しかしC社長は、僕の話に乗り気になった。上場会社を手中にするというロマンに
心を動かされたようだ。東京に不動産を持っているC社長に金融機関がいくらでも
金を貸していたことは容易に想像できる。金融機関は貸し出し競争にうつつを抜かし
ており土地さえ持っていれば、銀行の方から金を借りませんかと日参するような時代だった。

10億や20億のはした金で上場会社のオーナーになれるなら、やってみるか、というの
が、谷藤機械の株価も上がり、株や土地の担保が十分にあるC社長の心境だったと思う。
なにしろ300円で参戦した谷藤機械は最終的には2270円まで大化けしたのだから。

「草笛さんの話は面白いなあ。ほかにもいい銘柄があったら話してくださいますか?」

C氏は案外すんなりと僕の話にあいづちを打ってくれた。株をやる人は一癖も二癖も
ある人が多いという思い込みから、僕のほうが身構えすぎていたことを知らされた。
それまでの僕は、株の世界で、あまりにも変な人とばかり巡り会い過ぎていたのかもしれない。

うれしくなって、日頃、もし僕が大金持ちだったら、この株を買い占めて、その会社の
資産を有効利用して会社を甦らせるのにな、と夢想していた銘柄のことを次々に話した。
C氏は自分の机の上におかれた会社四季報を持ってきて、応接セットの机の上で広げ
一枚一枚ページをめくりながら僕のいう銘柄を確認していた。

意外だったのはC社長の机の上に、株に関する本や資料が一切なく
ただ会社四季報が一冊あるだけだったことだ。何十億円の投資をする人なのに
その程度の資料で相場を張っているのかと不思議な気がしたものである。

「いいですねぇ。実に面白い。それぞれに買いの根拠があって上がりそうだ。
 草笛さんの発想はうちの担当者にないものだ。話を聞いていて楽しいです」

C氏は僕へのお世辞ではなく、本心から子供のようにはしゃいで語りかけてきた。
いろんな人に株の話しをしてきたが、僕にとっても、このときが一番楽しい株の会話だったとしみじみ思う。僕もすべての夢が叶うような気持ちになっていた。

「草笛さん、あなた田舎を引き払って東京へ出てきませんか?
 というのも私は、いまもっと大きなスケールで投資をしようと思っているのです」

「といいますと?」

僕は満更ではない気がしながら尋ねた。


  • [5]
  • 東京城北物語 第三章

  • 投稿者:
  • 投稿日:2013年 6月30日(日)14時20分23秒
  • 編集済
 
【投稿者:草笛】

「日本での投資だけでなく、アメリカに渡って投資をしたいのです。
 やはり世界の経済の中心はアメリカですよ。アメリカで投資をして
成功したいのです。それが私の夢なんです。アメリカは零落したと日本では
言われていますが、私の見る所、世界の中心はやはりアメリカしかなく
アメリカでの投資の成功こそが真の成功だと考えているのです」

C社長はさきほどの僕の口調を上回る熱っぽさでアメリカ、アメリカを連発した。

「そう言われても…・・僕にはアメリカのことは全然わかりません」

僕はしょぼんとして答えた。

「いやいや、あなたには国内の株の取引をやってもらい、私がアメリカに
 専念したいと言っているんですよ。はははははは」

すごく、うれしい申し出だった。そういってもらえるだけで十分だった。

「お言葉はうれしいですが、僕は一匹狼で自由に生きたいので、このままの
 かたちでおつきあいいただければ、ありがたいのですが…」

「そうですか、残念ですが無理はいえませんね。それじゃあ、我が社の株の運用担当者を
 紹介しますから、さきほどのあなたの銘柄を担当者に説明しておいてください」

こうしてC社長との面会は成功裡に終わった。C社長はビジネスマンだからなのだろう。
アメリカのすごさを見抜いていた。日本中が浮かれて、アメリカなど日本の食料を
つくる農業国に転落すると言われていたとき、彼はアメリカこそ最良の投資先だと
言い切っていた。慧眼であったと今のアメリカを見ていて感嘆せざるをえない。
しかし、そのアメリカへの投資が後にC社長に大きな不幸をもたらすことになるのだが
そんなことは、バブルで幸せの絶頂にいたこのとき、お互い知る由もなかった。

C社長の本社ビルを後にして、僕はあたふたと街角の公衆電話をさがしていた。
腕時計を見るとまだ3時まで多少時間があったからだ。

「もしもし、日興電機の板を調べてくれる?急いでくれよ」

担当の営業マンに電話をして、場に出ている売り物を先回りして買っておこうとしたのだ。

「売りと買いの気配が離れてますね。売りは360円に1万株、365円に3000株
 それだけしかありません。買いはまばら、330円に2000株 320円に1000株です」

「いいよ、360円の1万を取りに行ってよ。それが買えたら、65円の3000株も
 買っといて!」

「そんな高いところ買わなくても、いつものように、下値で待っていれば安い所でなんぼでも買えるんじゃないですか?」

「なんでもいいから、兎に角すぐに買ってくれ!!」

とりあえず当日の売り物は僕が先にいただいておいた。
その夜は東京に泊まって、翌日新幹線で帰った。夕方、証券会社に電話を入れてみると
日興電機工業は出来高が急増して400円台に乗ったと言う。C社長が買い出動したのだろう。
きのう買い増しておいて儲かった。あの1万3千株で、東京往復の旅費宿泊費以上は稼いだな、
とほくそえむ僕であった。





  • [4]
  • 東京城北物語 第4章

  • 投稿者:
  • 投稿日:2013年 6月30日(日)14時17分15秒
  • 編集済
 
【投稿者:草笛】

これまでのあらすじ

ある有力社長が谷藤機械を仕込んでいるという情報を掴んで300円から参戦。
田舎の仲間にも奨めて買い進んでいたら、当の社長から会いたいと言われ勇躍上京。
会って気に入ってもらい、自分が仕込んでいた日興電機工業という300円台のボロ株の
買占めを提案。社長が乗り気だったので、田舎へ帰った私は日興電機をガンガン買い捲った。
_______________________________________

日興電機工業は1か月の出来高が数万株しかないような不人気株であったが、このあと月間
出来高が100万株以上出来るようになり、2カ月後に577円まで上昇した。
僕と僕に奨められて買っていた友人も大喜びで、さらに買い増していった。

市場で買占め説も噂になりはじめ、さあこれから暴騰だというとき、悲劇が起きた。
日興電機工業は8月決算予想を黒字2.5円配当から、大幅赤字無配転落と修正して発表したのだ。

これが 買占め対策として、会社側が使う常套手段である。力のない仕手筋は、株価の
急落で担保力をなくして、追証責めにあう。
たいていの弱小仕手筋は会社側の赤字無配作戦にやられ、ここで崩れて敗北してしまうものだ。

この赤字無配報道で提灯筋はビビって一斉に売り物を出してきた。一巻の終わりだった・・・
この道はいつか来た道、500円を割れて売り物殺到、ずるずると下げる株価に、
またしても私の仲間からは苦情、不満の声が沸き上がった。

「おいおい、話しがちがうじゃないか、あんたが確かな情報だというから、550円で
買ったんだぞ。一体どうなるんだよ!」

「確かな情報ですすめたのですから、ここはじっと我慢してください。
 待てば海路の日和あり、信じるものは必ず救われます。私は不死鳥です。必ず勝つ!」

いつも似たようなことを言って、苦情を言ってくる人を宥める僕であった。
こんな辛い経験を一体何度懲りずにやってきたことだろう。

株価は500円を割り込み、450円を割りこみ、400円さえも割り込んで
じりじり下げ出した。1株純資産が100円そこそこで、業種が不人気な自動車部品株が
赤字で無配に転落となれば、400円割れもいたしかたがないといえた。
そしてついに350円になり、前から持っていたタネ玉も再び水浸し。
C氏参戦決定の日に先回りして買った、360円の1万株さえもやられ玉になってしまったのである。
もちろん調子を出して500円台まで買い上がった玉は、大やられになった。

それでも僕は投げずに頑張った。友人にも決して投げるなと言い続けた。
苦情にも耐えて、ナンピンを奨め、自分でも買い支えた。
しかし日興電機工業の株価はそんな僕等を嘲笑うかのように、ひたすら下げ続けて
年末には無残にも300円すれすれまで落ち込んでしまった。

あけて昭和62年2月、日興電機工業はついに275円の安値をつけるに至った。
ここまで下がるともう友人にも言い訳がつかない。高値577円から半値以下に暴落して
しまったのである。嘘つきだ、詐欺師だといわれても、もう反論の余地もなかった。

僕自身が、もう投げてしまいたい気分になっていた。倒産でもされては元も子もないと
恐怖心さえ生まれてきていたのだ。
それにしてもC社長からは、なんの音沙汰もなかった。たいてい、こんなとき、そろそろ
お叱りの電話がかかってきそうなものなのに・・・・・・・・


                第5章につづく

  • [3]
  • 東京城北物語 第5章

  • 投稿者:
  • 投稿日:2013年 6月30日(日)14時15分4秒
  • 編集済
 
【投稿者:草笛】

赤字無配になった日興電機工業はもとの不人気株に逆戻りして、
昭和62年3月の月間出来高はわずか7万株に落ち込んだ。
株価は300円をかろうじてキープしていたが、日興電機工業は市場でまったく忘れられた存在になっていた。

僕は持ち株を投売りしようにも、商いがなく、買い板もなく、売るに売れないので仕方なく塩漬にしていた。
C社長からは、しかし、それでも何の苦情もなかった。それが僕には不思議でならなかったのだが
4月に入ると、急に商いが出来始めて株価は再び500円台奪還!!奇跡が起きたのだ。

月間出来高も100万株を超えてきた。C社長は日興電機を諦めずじっくり仕込んでいたのである。
C社長は兜町出身ではなく実業家だったから信念があった。目先の上げ下げにあたふたせず、株価を買うのではなく、狙った会社そのものを買っていたのだ。

気分を良くした僕は、ルンルン気分で遊びがてら上京し、株主として会社訪問することにした。
東京大田区の、京浜急行蒲田駅を下車して第一京浜道路沿いに南に徒歩10分ほどの場所に日興電機工業はあった。
本社の建物は、古色蒼然たるオンボロビルだった。一見して、会社のやる気なさが霊視できた。
こんな会社の株を買っていたのか、と我ながら向こう見ずな投資だと思い知らされた。
やはり、株を大量に買うときは会社を先に見ておかねばダメだ。

ひやかし半分にどんな会社か見たかっただけであったから、やる気なさそうな本社社屋を
見てもう何も聞く気はなかった。あいさつだけしておけばよいと思った。

出てきた総務部長は本来の立場とは逆に、僕に質問してきた。

「あの~~当社を誰か買い占めているのでしょうか?」

「買占めですか?そりゃまたどうして、そんなことを言われるのですか?」

 僕はとぼけて聞き返した。

「うちは、赤字を発表して、無配にしたんですよ。それなのに継続して
 買いが入ってきて、株価も上がっていくではないですか。おかしいですよ。
 社長が、買占められるから気をつけろと社長仲間から忠告されて心配しているんです。
 草笛さんなら、誰が買い占めようとしているか知っているのではないですか?」

まさか僕がC社長に買い占めを勧めたとは言えない。

「残念ですが、僕は単なる田舎の投資家なので、何も分かりません」

だが、一言釘を刺しておいた。

「御社の資産内容からいって500円ではまだ安いから、買占めを企てる人も
いるかもしれませんね、御社は土地持ち会社として魅力ある会社ですからね」

「そうでしょうか?へぇ~~うちの会社に魅力があるのですかぁ~~
 ふ~~む・・・・・・」

総務部長は納得いかないように腕組をし首をかしげてつぶやいていた。

社員というものは自分の会社のことを内側から見ているから自分の会社をたいして評価していない事が多い。
思いきって外部から経営者を迎えたほうが、外側から見た新しい感覚で経営方針を決めるから立ち直りが早い。
日興電機工業はオーナー社長が経営に固執したため、結局、この買占め劇の10年後、
上場廃止に追い込まれてしまった。

長居は無用とばかり、僕は質問もあまりせずに総務部長との会話を早目に打ち切り、
この相場は適当なところで売り抜けたほうがいいな、と思いつつオンボロ社屋をあとにした。

              6章&7章(完結編)につづく



  • [2]
  • 東京城北物語 第6章

  • 投稿者:
  • 投稿日:2013年 6月30日(日)14時12分12秒
  • 編集済
 
【投稿者:草笛】

これまでのあらすじ。

資金量豊富な東京のある社長と出会い、気に入られた私は、自分が仕込んでいて
自分の力ではどうにも上がらず困っていた日興電機工業の買占めを奨めた。
一度厳しい振るい落としがあり、もう投げようとまで思った私だったが・・・・・・

________________________________________


5月にはいると、日興電機工業は500円台を脱して600円台へと新値を更新。
買占め説が再燃して提灯がまたつきはじめて、700円、800円、900円と
面白いように暴騰し、遂に「1000円」の大台に乗せたのである。

谷藤機械は1000円の壁が破れず700円あたりで
足踏みをしていたから、意外なことに日興電機工業のほうがスターダムにのし上がったのだ。

会社訪問をして、さえない本社を見てしまっていた僕は、目立たぬように順次売りをぶつけて、
1000円までで、きれいに売り抜けた。
日興電機工業はその後も上下しながら8月には1500円を突破、
10月には1850円まで昇りつめた。
押し目の300円前後から実に6倍という奇跡的な値上がりで大勝利だった。

文句を言っていた仲間たちも大喜びで

「やっぱし我慢しとって良かった。オラは最後にはこうなると思っておったんだがネ」

と、前に散々苦情を言っていたのが嘘のよう。
株をやっている人は下がれば他人のせいにし、
上がれば自分の先見の明を誇るといったタイプが多いものだ。

さすが資金量が豊富なC社長が一枚かむと相場の迫力が違う。
僕はいまでも、この社長には感謝していて足を向けて寝られない気がしている。

僕の提案した数々の銘柄(太平製紙など)に参戦していただき、5倍~10倍に仕上げでもらい、
ずいぶん儲けさせていただいだ。足踏みをしていた谷藤機械も、日興電機工業のあとを追い、
翌昭和63年に1000円を突破して1640円まで暴騰し、最終的には2270円まで上がった。

C社長は実行の人だった。 騙し合いが横行し裏切りが日常茶飯事の株の世界で、
こんなに信じられる人はいなかった。

しかし、バブル崩壊は、C社長といえども避けて通ってはくれなかった。
谷藤機械、日興電機工業をはじめとする大化けした低位株はまた元の株価に潮が引くように戻っていった。
C社長はそのうえに、兜町で名前が売れすぎて、国家によるバブル退治、株式相場師への迫害の標的となった。

株の値下がりに追い討ちをかけるように、権力による弾圧がC社長の身辺に及んだ。
C社長と資金運用スタッフはある日突然、警察に連行され逮捕されたのである。

         明日、日曜日 涙の第7章(最終章)をお届けします




  • [1]
  • 東京城北物語  第7章(最終章)

  • 投稿者:
  • 投稿日:2013年 6月30日(日)14時10分28秒
  • 編集済
 
【投稿者:草笛】

国家権力に狙われたらいかに金を持っていても、所詮は市井の人。
無冠の個人は弱いものだ。

罪状などいくらでも、つけることができる。
昇りのエスカレーターでボケッと女子高生の後ろに立っていれば
のぞき容疑の現行犯、立ちションベンすれば猥褻物陳列罪、
カラオケで手が女性の肩に触れればセクハラ罪、
道路からハミ出して他人の土地の上を歩けば家宅侵入罪、
怒鳴る警官に逆らえば公務執行妨害罪、
なんぼでもいつでも誰でも適当な理由をつけて、一般民間人は権力から逮捕監禁される恐れがある。

C社長の罪状は、外国為替法違反だった。アメリカへの投資の夢を熱っぽく語っていた社長
であったが、そのアメリカへの投資が国家権力による弾圧の糸口となってしまったのだ。
アメリカへの投資にからむ資金移動に不備があったようだ。
しかし、それはC社長を潰すための口実みたいなものだったと僕は思う。

あのころは、バブル退治という間違った国家政策のもとアカ狩りならぬ「仕手狩り」が
国家権力の手で行われていて、名の知れた相場師、仕手筋はことごとく弾圧され逮捕投獄されたのである。
相場師は株価暴落によって相場で殺されるか、まれにしぶとく生き延びていたら
牢獄にブチ込まれるか、どちらかであった。身の毛もよだつ恐ろしい時代だった。

C社長は割安な企業の株を買い占めて自分が経営者になるつもりで投資していたので、
企業を恐喝したりして買占めた株券の引き取りを迫るようなことはしていなかった。
株の取引に関しては何の問題もなく逮捕のしようがなかったので、権力側は外国為替法を
引っ張りだしてC社長を逮捕投獄したのだと憶測している。

ともあれ、C社長の誘いをあのとき承諾して上京し、資産運用スタッフとしてC社長のもとにいたら、
僕も獄中の人になっていて、今こうして他人事のように東京城北物語を書く気にはなれなかったろう。

今年の8月、丸善の売上に協力しようと日本橋店で絵を買った折、なつかしくてなって
ふらりとC社長の会社の、とある支店の店舗をのぞいてみた。
お店はまるで何事もなかったかのように順調に営業をしていた。
C社長が今ではひたすら本業のビジネスに打ち込んでおられることがよく分かった。

兜町界隈でC社長の名前を聞かなくなって久しくなる。バブル崩壊と権力からの弾圧で
株式投資はもうこりごりだと思っておられるにちがいない。

C社長のような株にロマンを感じる人が帰って来なければ日本の株式市場は立直れない。
日経平均が38915円を回復するなんてことは、このままでは永遠に来ないだろう。

C社長の店の前にぽつねんとたちすくんで、店の賑わいを見ているうちに、
あれからずうっと株の世界で、しかも10年も下げ続けている厳冬の株の世界で、
悪戦苦闘しながら生きてきた自分がなんとなく世の中から取り残され、無駄に生きてきた
ように思えて、孤独感と虚無感がじわりと胸にこみ上げてきた。

会社四季報を手に、目をほそめスットプ高をうれしそうに語っていた在りし日のC社長の姿が
その瞬間、瞼に浮かんで、すうーと消えていった。

                        東京城北物語  完